名曲『Butter-Fly』と生きる勇気

1999年、アニメ「デジモンアドベンチャー」が放送され、その主題歌「Butter-Fly」は2022年になった今でも親しまれる伝説のアニソンとなっています。

デジモンシリーズを語る上で欠かせないこの曲は、みんなに愛される名曲という存在に留まらず、暗いどん底から這い上がる「生きる勇気」すら与えてくれます。
この気持ちをなんとか言語化したいと思い記事にしましたので、Butter-Flyを知っている人もそうでない人もぜひ読んでみてください。

和田光司という人

1999年に「Butter-Fly」でメジャーデビューします。(それ以前の情報はネット上では見かけません)その後もデジモンシリーズの主題歌を立て続けに担当して、携わった作品の多くはデジモン関連です。

Butter-Flyは20代〜30代にとっては身近で、曲自体が魅力的なのですが、この曲のもう一つの魅力は、病気から復活して歌い続けた和田さんの生き様にあると思います。

2006年頃にブログを開設。ブログやTwitterには闘病のことなども綴られています。明るい言葉の中に葛藤が入り混じっていて、それでも前向きな言葉で締められる文章に僕は心を惹きつけられます。

不死蝶と呼ばれる理由

2003年、和田さんは一度目の上咽頭がんを患います。歌手の生命線である喉のがんでした。

しかし、和田さんは療養期間を経て復活します。この姿に代表曲のButter-Flyをかけて、いつしか「不死蝶」と呼ばれるように。

和田さんは、当時の心境を次のように語っています。

「言われた瞬間、『死』を思いました。歌を続けるかどうか、考える余裕はなかった」

「なぜ、というより、『じゃ、どうしようか』と思っていました。死ぬことは恐怖ですが、どんなに拒否しても誰にでも訪れる。それなら、闇の中でふさぎ込んで生きていくのはもったいない」

がん宣告された時の絶望と、それでも前を向いて生きていくという正反対の気持ち。病気に向き合うのはそれくらい複雑なことなのだと思います。

生きる勇気

回復後は精力的に歌手活動を続けていましたが、2011年にがんが再発します。

「(歌手活動について)興味すらもっていませんでした。このまま引退してもいいくらいに思っていた。今思えば、歌う気力を失っていたんでしょうね」

しかし、それでも和田さんは再び復活して、歌手活動を再開します。何度病気になって、声が出ない、もしかしたら長くないかもしれない、絶望的な状況になっても歌い続けました。

不運が重なって追い込まれた時、和田さんの姿はまさに見本であり、命が尽きる最後の瞬間まで人生の素晴らしさを表現できる可能性を示していると思います。

人生は不平等で、緩やかに寿命を全うする人がいれば、不運が重なりつらい人生を経験する人もいます。私たちは自分自身の中に、また誰かの人生に不条理を感じることがあります。

しかし、和田さんは毅然した態度で、自然体で歌うことを選びました。療養後の万全ではない体で絞り出すように歌う和田さんの姿を見て、「がんばれ!」と応援したくなると同時に、自分にはまだやれることがあるかもしれないという勇気が湧いてきます。

楽に生きる。でも、軽すぎない。

病気との向き合い方について、和田さんは次のように話しています。

「知り合いに『使命感で歌い続けるのではなく、歌える時に歌って、歌えなくなったらまた休めばいいじゃない』と言われたんですよ。この言葉でだいぶ楽になって、『それでいいんだ』と思うことが出来た。『じゃ、いこうか』って」

余命40年というと、軽いでしょ。治そう治そうという思いは、僕は重いと思った。重く受け止め過ぎると疲れてしまうし、かといって軽く見過ぎるとそこから足をすくわれる。心の持ちようとしてその中間がいいな、と思った。うまく共存して、歌える時には歌いに出てきて、がっつり治療する時にはちょっと休む。

人生は上手くいかないことの方が多いかもしれません。でも、今まで出来たことが出来なくなっても、それで終わりじゃない人生の先が見えた時、努力してもこれ以上は進めない時、どのような態度を取るかは自分次第かもしれないそしてみんなと同じようにできないなら、自分のペースで進んだっていい。

こう考えることもできます。私たちは同じように教育を受けて、均一な能力を身につけることを無意識のうちに刷り込まれていますが、みんなと同じように生きていく必要はないと思います。

つらい状況にあっても自分の意志を持って行動したり、寝たきりになっても言葉や態度で勇気を与えるような存在として振る舞ったり、「これも悪くない」と思えるような人生の選択肢はまだ残されていると思います。

未来が待っている

和田さんにとって、デジモンの主題歌で有名になることも、がんの闘病生活が来ることも、きっと想像を超えた未来だったのかもしれません。

私たちの人生も同じだと思います。

なに一つ予想通りのことはなく、いつも予想していたよりちょっと違っていたり、あるいは大きく想像を上回って来ることも。同じように生きていても、全部が同じ人なんていないわけですし、つらい 人生でも、それを受け入れて生きていかなければいけないのかもしれません。

2016年4月3日 上咽頭がんで死去

これからも、和田さんの歌が誰かの心に届くことを願っています。

出典、リンク等

yomiDr. こころ元気塾 https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20140713-OYTEW52300/

光司広場Ⅲ http://wadakoji.com/

和田光司 Twitter https://twitter.com/wada_koji

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