近所のお好み焼き屋さん

 僕が小学校の中学年になった頃、近所の夫婦が店を開いた。おじさんとおばさんが二人でやっているお好み焼き屋さん。ふわふわの生地にキャベツが沢山、ちょっと濃い目のソースが印象的なお好み焼きだった。ちょっと濃い目と書いたけど、日によっては信じられないほどしょっぱかった。おじさん、配合間違えたのかい。値段はたしか400円。この金額からして夫婦が楽しみで始めたのだと、子供ながらに思った。週末はよく家族分を持ち帰り、夏休みはお昼通った。

 やけにふわふわのかき氷ができる機械も置いてあって、こちらは150円で楽しめた。抹茶味が用意されていたから、多分それしか頼んでいない。おじさんとおばさんは、店を訪れる度に優しく話しかけてくれて、僕にとってもそれがホッとする時間だった。

 中学生になって、部活や塾で忙しくなり、店からは次第に足が遠のいていった。気づいた時にはお店のシャッターが開かなくなっていた。後で聞いた話だけど、おばさんが腰を悪くして店をたたんだらしい。おじさんの姿は時々見かけても、店をやっていないことに少し寂しさを感じた。杖をついて歩くおじさんに気づいた僕は25歳になっていた。

 ある日、10年前まで近所に住んでいた方と偶然知り合って、住んでいる地域の話で盛り上がっていた。「そういえばお好み焼き屋さんがありましたよね。おじさんの趣味だったんですかね」話の流れでお店の話題を振ると「あのお店はね」と、その人は穏やかな口調で教えてくれた。

 おじさんとおばさんには娘さんがいたそうだ。しかし、娘さんが若くして亡くなり、おばさんはすっかり落ち込んでしまった。そんなおばさんの様子を見て、元気付けようとおじさんが始めたのがお好み焼き屋だった。

 決して老夫婦の趣味なんかではない。その優しさに息が詰まった。鼻の奥がツーンとして、飲み会で急に涙目になった僕はきっとおかしな人だと思われたに違いない。あのお好み焼きの素朴な味に、おじさんの思いやりとか、順調にはいかない人生のしょっぱさとか、きっとそういうものが詰まっていたんだ。また、あの少し焦げた匂いのお好み焼きが食べたくなった。

 この話を聞いた後、道端でおじさんと会った。世間話をしてすれ違おうとした時、僕は思わず「お好み焼き屋さん、覚えてますよ」と声をかけた。なんだか、声をかけずにはいられなかった。おじさんは照れ臭そうに「君もよく来てたよね」と返してくれた。ゴルフクラブを杖代わりに歩くおじさんの丸い背中から、なんとも言えない優しさを感じた。

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