不安と向き合うための方法 不安で仕方ない時の対処法

 世の中は不安で溢れている。学校、仕事、通勤、将来…僕も不安に押しつぶされそうになった一人だ。学生の頃から不安と戦って来た僕は、最近ようやくこの不安の正体に気づき始めた。

 本を読んだり辛い局面を乗り越えたりして気づいた、20代半ばで考える不安との向き合い方について書いてみる。

不安の正体

 不安の正体は、自分が作り出した像だ。そして、その像を大きくしているのは物事の考え方だ。

 とにかく、自分の中にあるもので、それは決して際限なく膨らむものではないということを知っておこう。知っているだけで、不安のどん底に落ちることを回避できる可能性は上がる。不安には限りがあるものだ。

 …自分でどうにかできるレベルを越えてしまっている場合は、今すぐに病院を受診しよう。

不安を論理的に否定する

 不安に対処するためには、不安のタネに気づくことが大切だ。「あの人は私が言ったことを気にしているかもしれない」という気持ちになった時、これが不安のタネ。この僕らを苦しめる根源を論理的に否定しよう。

 この場面では、相手が気にしているという確固たる証拠はない。もし、気にしているに違いないと思っているなら、どうしてそう言えるか考えてみよう。相手が気にしているはずというのは想像でしかない。あなたの想像は世界の事物を証明できる証拠ではないと思わないだろうか?

 不安だ、とパニックになる前にまずは論理的に否定しよう。冷静に考えると怖がる必要のないものばかりである。

 もう一つ例を挙げると、明日仕事が終わらないかもしれないという不安に襲われたとする。なぜ不安になるかというと、周囲の人に迷惑をかけるかもしれない、仕事ができない人なんだと思われるかもしれないと心配しているから。でも、本当に仕事って終わりませんか?仕事ができない人だと思う人はどれくらいいて、その人に嫌われると人生詰みますか?いくらでも反論が作れる。反論は僕らの強い味方だ。

 あと、仕事ができないと馬鹿にされるかもしれないと思っている人は、心のどこかで仕事ができない人のことを馬鹿にしている。他人を貶す行為は自分の首を絞めている。

 この方法、万能とまではいかないもののマイナスな考えが浮かんできたらいつでも活用できる。人間の気分は論理的筋道とは無関係に起こるものなので、「確固たる証拠はあるのか」と問い詰めれば、証拠はないという結論に行き着く。自分は劣ってる、孤独だ、なんだかつまらないといったマイナスな感情に根拠などない。そう思うだけで少し救われる。

 哲学者や思想家の名著を読むと、論理的な思考や人生に関する考察を覗くことができる。特に「夜と霧 /V.E.フランクル」「幸福論 /B.ラッセル」は何十年も前に書かれた本とは思えないほど、瑞々しく僕らの生活に語りかけて来る。これらについていつか記事を書きたいと思う。

体調を整えよう

 不安が大きくなる時、僕たちは睡眠や運動が不足して、栄養のバランスが取れていない場合が多い。僕は学生時代に一人暮らしで、一度不安で心がいっぱいになってしまったことがある。昼夜逆転しているという訳でもなかったが、運動不足で体にストレスがたまり睡眠の質が悪かった。

体の緊張をほぐす

 日常生活で力が抜けなくなると、不安で体が緊張してさらに不安が増すという悪循環から抜け出せなくなってしまう。体のいたるところに力が入っていることがあるため、ベッドに寝そべったりしながら首周り、肩、背中、腰、指先まで1つ1つ力を抜いていくといい。力を抜く練習をしておけば、体が緊張するのを予防できる。

 体の調子を整えるのに運動は重要だが、ガチガチに力を入れる必要はない。むしろ力を抜いて、体をほぐすことが重要だ。首回りのこりは体調に直結するので、大きく肩を回してほぐすのがいい。

改善することに力を入れ過ぎない

 体調を改善しなければ、癒されなければと頑張っても、うまくリフレッシュできない人もいる。癒されようと必死に本を読んだり、感動する映画を観たりしたが、結局ストレスは解消されないことがあった。さっさと寝てしまった方がよかったと思うくらいだ。

 体調がすぐれない時に必死になって汗をかいたことがあるが、あまり効果はなかった。その時かかったお医者さん曰く、軽いジョギング、ウォーキングで問題ないとのこと。頑張り過ぎがよくないのは、体の緊張を解くことが重要であって、汗をたくさんかくことが目的ではないからだ。

 体の緊張や不安は、蓄積させないことが重要で、バランスを崩した時はひたすらバランスを取り戻すことに集中した方がいい。まずは寝ること、睡眠1時間前からはなるべきパソコンやスマホから離れるのがおすすめ。

不安から目を背けてはいけない

 目を背けてしまえば、墨が水に溶けるように不安はあっという間に広がっていく。不安になりたくない、不安に気づきたくないと思えば思うほど不安は大きく育つ。(幸福論/B.ラッセルに同じような記述がある)

 不安と向き合うのはどうしても怖い、でも思い切って向き合った方が楽になれる。怖いと思う方へ突き進むことが僕たちが困難に対抗できる術であり、僕たちの成長に繋がるというわけだ。

 仕事が不安で仕方なくても、向き合って考えればそんなに怖がる必要のある仕事ではないと気づく。自分を叱咤する上司の言葉は本当に自分を思ってのものなのか、仕事上必要なものなのか。もし、ただの憂さ晴らしだと思うなら、相手の言葉を真に受ける必要はない。

 冷静に突破できる方法を探るには、敵の姿をよく観察する必要がある。背後から追いかけられることほど怖いことはない、一度落ち着いて振り返ろう。

生活の状況を冷静に見直す

 不安を抱えている人は、冷静に現状を理解すると落ち着きやすい。仕事から逃げられないと感じている人は、本当に逃げられないのか。そう考えるだけの時間をなんとかして捻出しなければならない。ではどうするかというと、ほんの数日でもいいから限界を迎える前に仕事や学校から離れる。

 休めないと思っている仕事も、実は休んで問題ない。人に迷惑がかかることもあるが、そんなことより自分が自分を取り戻す方が重要だ。そもそも迷惑なんて発生しないこともある。

 ブラック企業ならさっさとやめた方がいい。その後の生活や再就職が大変でも、心と体を壊すよりマシだ。良識のある企業なら、残業をしないとか、しばらく休んで徐々に復帰するとか、とにかく不安と向き合って落ち着くだけの時間が必要だ。

最後に

 世の中には不安が溢れている。僕らに必要なのは、それらをどのように受け止めるか、もしくはどうやってかわすか。僕らを襲う不安は、本来ちっぽけな問題だ。名のある会社を辞めてしまうこと、仕事上弱音を吐くことをプライドが許さない、そういった事情で上手く逃げられない時に不安は大きくなる。プライドは論理的に正しいのか…いかに考え方を変えて自分の中に妥協点を作るかが重要だ。

 会社を辞めてしまっても僕らは惨めなんかじゃない。何をやっても自由な人生。

 

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